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    12.04.2013

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InnerVoice

心の声

岡 まさえさん
Masae Oka



今の不安は、小さい子供が居るのでなかなか仕事が出来ません。
保育園なら16時まで預かって貰えますが、小学校だと3時と早く帰ってくるので、時間が微妙でなかなか仕事がありません。
また、子供が小さいので病気になったら仕事を休むと、
会社には懸念されます。

片親世帯に、もう少し周りの環境がかわると助かります。
震災で片親世帯が増え、頼れる人がおらず、仮設で知らない人の中、
悩みを抱えている人は多いです。

震災後、子供たちが、暗やみやサイレンに敏感になり、
一人で留守番が出来なくなりました。

町つくりも全然進まない。
学校は来年戻れますが、復興住宅は出来上がるのに時間が掛かり、
それまでの送迎は未定です。バスを出すのにも赤字なので。

復興住宅に入居しても、地域の学校側がいっぱいだと、
学区外の学校に通わないといけません。












後藤 久子さん
Hisako Goto



私は現在、仮設住宅に入居中です。
仕事は、これまでに新聞配達、震災用長期滞在型ホテルのベッドメーキング、震災がれき処理をしましたが、すべて数日数ヶ月で終了しました。
二重ローンの件は 二重ローンの救済もある様ですが、
条件がクリア出来ない人が多い様です。

国はオリンピックより福島の再生、現場の処理、
震災地の復興を優先してほしい。
都会はマンションブーム 又オリンピックで業者が被災地から消えてます。
それにより復興が遅れ、被災地のことは忘れらそうで不安です。

後数年、被災地に寄り添ってほしい。
甘えでしょうか?
まだ進む道が決まっていない人が沢山います。
宜しくお願いします。











佐藤 容子さん
Yoko Sato



私の家は、河口に近い川のすぐ側にあり、震災の津波によって
二階建ての家の一階部分が泥と瓦礫に埋もれました。
約5ヶ月かけて修復し、なんとか住める家になりましたが、
その後、市の防災堤防計画に家が掛かる事が分かり、
立ち退きをしなければならなくなりました。
住み慣れた土地を離れる事はとても不安です。

新しく家を建てる事も、経済的負担が大きすぎてどうしようかと頭を抱え、かと言って今居る場所も再び津波が来ないか、地震が起きる度びくびくしています。不安と悩みは尽きません。

国からの援助は、再建支援金の支給や税金の免除や減免がありました。
その後は、基本的に被災者に対して物やお金を支給するのではなく、税金の様に支払う義務があるものを被災の程度によって減免すると言う感じでした。

援助と言う形では、日本中から、更には世界各国から寄せられた義援金は本当にありがたいと思いました。
大勢の人々から「負けるなよ!」と励まされているように感じました。
本当に感謝しています。

仕事は、選り好みしなければあるかもしれません。
ただ、人それぞれ希望と事情があり自分にあった仕事を望んでいます。
仕事に関しては、需要と供給のバランスが取れていないと思います。











佐藤 清子さん
Seiko Sato



持ち家を修復して避難所から戻って生活しています。

仕事はどのくらいありますか。(パートやバイト、正社員問わず)
(生活を立て直していける状況(仕事や助成金・援助)はありますか。)

仕事は選ばなければあります。ただ、年配の方は加工場で働いていた方がほとんどだったので、 市場が復興しないため、職を失ったままの人がたくさんいます。
また、若い女性や小さな子供がいる母親が働ける仕事はありません。

国の援助などはどうなっていますか。
また期間などがあれば教えてください。

仮設に住んでいる人達はまだあるみたいですが、
自力で持ち家を修復した人達にとっては今は特にありません。

二重ローンの事など
大規模半壊だった家を修復した料金の支払い
(木材や材料が貴重だったので震災前より倍以上でした)住宅ローンの支払いが残っているため困難。

困っていること…
小さなお子さんがいる場合、保育園は待機待ちで空きがなく、
託児所に預けると働いた分が消えてしまいます。
多少の熱があっても預かってくれる託児所、病児・病後児施設があると働く女性は助かると思うのですが…。
私自身、震災後すぐに働かせていただく機会をいただきましたが、
子供がまだ小さく熱を出すことが頻繁にあり、そのような施設はないか調べても石巻にはなく・・
託児所に預けても託児所の支払いに消えてしまっていました。
今では、子供達も大きくなり、家でできる仕事に携わることができ、
家にいることによって精神的に安心するのか、
子供達は一度も熱をだしていません。
関係者の方々に感謝しています。












新田 理恵さん
Rie Nitta



津波の被害を受けた家に戻った理由
・市が土地の買い取りをしてくれません。
・ローンの支払いがあります。
(仮設に住んでいても、ローンを支払っていました。)
・行政の復興計画がなかなか決まらず、1年以上家をそのままにしていましたが、どんどん傷んでしまうのでリフォームしました。

自宅に戻りましたが、何も変わらず毎日不安な思いで暮らしています。
・防波堤、高盛道路、避難道路の整備がいまだに手付かずの状態です。
・要援護者(避難の難しい障害者や高齢者や乳幼児など)の避難方法や場所がま だ整備されていません。
・土地区画整備事業に入っている地域ですが、町内会が崩壊状態で話し合いが進 まず、 行政から置き去りにされている地域です。

仕事はやはり条件が厳しく、子供がいる主婦には難しいです。
・地元でも被災者の方々が手作りの物を販売していますが、
 だんだん売れなくなってきています。
・被災地の手仕事が減るということは、
 被災地のことが忘れられてきたということだと思います。

仕事を通して、被災地のことを伝えていくことは、
私たち被災者にとってとてもプラスになります。











山内 奈美さん
Nami Yamauchi



今、石巻市は被災当初に比べて、建物はだいぶ復興しましたが、
被災者自身の生活は、だいぶ変わりました。

仕事や住む場所。子供の環境。
私の住んでいた石巻市門脇町は、 目の前まで津波が来ました。
当初子供は保育園で たまたま迎えが間に合ったので助かりましたが、
友達はなくなった子もいます。
仲良しだった友達と違う保育園へ行く事になり、中学校の体育館から通っていたので かなりの不安をかかえ、体育館に慣れるくらいの期間いて、やっと仮設へ引っ越しました。

そこの学区の小学校へ入学。 また1から友達作り。
そして今、公営住宅の申し込み。
また子供の学区に悩まされ、でも建てられる場所が決まっており、
通学バスも出ないと言われているので、また子供は1から友達作り。
子供は被災にあった事により一番大変な思いをしています。

矢本町。女川町。は義援金が公営住宅へ引っ越しする時に出るみたいですが、 石巻市は被災した人数が多いため出ないと言われています。
被災したのは変わりないと不満の声が多いです。











我が家は震災の津波で家が流出し、未だに仮設住宅に住んでいます。
前の場所は危険区域の為帰れません。

ストレスから来る身体の不調で今年の4月に仕事も辞めました。
まだまだ先も全く見えない状況で不安の日々です。
でも私は生き残った者として、母として、子供達と前に進もうと
頑張っています。

作り手さんは皆それぞれ色々な事情とか思いを抱えていると思います。
でも皆さんが同じ気持ちなのはこのプロジェクトに感謝している事です。










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